正解
◆問題
牛若丸とは誰の幼名でしょうか?
◆正解
源 義経
◆解説
清和源氏の流れを汲む河内源氏の源義朝の九男として生まれ、牛若丸(うしわかまる)と名付けられる。母常盤御前は九条院の雑仕女であった。
父は平治元年(1159年)の平治の乱で謀反人となり敗死する。その係累の難を避けるため、数え年2歳の牛若は母の腕に抱かれて2人の同母兄・今若、乙若とともに逃亡し大和国(奈良県)へ逃れる。その後常盤は都に戻り、今若と乙若は出家して僧として生きることになる。
後に常盤は公家の一条長成に再嫁し、牛若丸は11歳の時、鞍馬寺(京都市左京区)に預けられ、稚児名を遮那王(しゃなおう)と名乗った。
やがて遮那王は僧になる事を拒否して鞍馬寺を出奔し、自らの手で元服を行い、奥州藤原氏宗主、鎮守府将軍藤原秀衡を頼って奥州平泉に下った。
秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成は一条長成の従兄弟の子で、その伝をたどった可能性が高い。
『平治物語』では近江国蒲生郡鏡の宿で元服したとする。『義経記』では父義朝の最期の地でもある尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字である「義」の字と、初代経基王の「経」の字を以って実名を義経としたという。
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C
★ちなみに
「源頼朝」を選んだ人は231268人
「源義朝」を選んだ人は2349人
「源 義経」を選んだ人は39081人